中林和男出版社
中林和男出版社
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口で立派なことを語り、なにも行動せず、大集団の中にいることが正義だというのは、如何なものだろうか。
愚生、最近、口先だけではなく己を滅して子どもたちのために奉仕する立派な人物に出会った。
その人の名前は、中林和男という。
中林氏は10代のころから手の付けられない悪であり、中学2年の時に覚せい剤に手を出し、結果的に犯歴23犯、前科11犯、獄中20年を塀の中に繋がれていたのである。
刑務所へは、8回にわたり入っており、出て来てはまた覚せい剤に手を出し、その上、傷害であったり、最低中の最低と言われる窃盗にまで手を染め、犯罪という犯罪は何でも犯し、ご本人曰く最低のクズだと言われている。
しかし、中林氏は今から15年前に覚せい剤をきっぱりとやめ、新たな人生を踏み出した。
それでも世間の目は厳しく、なかなか受け入れられることはなく、警察からも何度も、また覚せい剤をやっているのではないかと任意同行を求められ、挙句の果て尿検査まで強いられた。
一言で尿検査といっても約2時間弱時間をとられるのである。
また、
「任意同行と言っても強制である。警察24時の職務質問から逮捕にいたる場面を思い返してほしい、毎回何もしていない仕事中の中林氏にあの様な酷い仕打ちをするのであった」
その結果、職場を追われることになり、何度かの転職を経て、現在は午前2時に起き新聞配達をし、その後、午前9時から午後6時まで工場勤務をしている。
この生活は、現在は定着したとのことだった。
空いた時間に、ポップコーンを焼き、公園などで遊ぶ子供らに配り、子どもたちの未来のことに心を馳せている。
近い将来実現できるか否かは別としても、日本一の子ども食堂を実現したいと考え、余力があれば、恵まれない子供たちをUSJやディズニーランドに連れて行ってあげたいという強い思いを持っている。
本も出されており、題名は「ゴミと呼ばれて」というもので、中林氏から言わせれば、クズのような人生の記録であり、それから前向きに生きてきた経験的な話である。
中林氏は、この度、自ら中林和男出版社を立ち上げて、「ゴミと呼ばれて刑務所の中の落ちこぼれ加筆改訂版」を出版することになった。
この本の印税は、すべて社会福祉協議会などに寄付をし、また、毎朝配っている新聞配達の収入もすべて同様の団体などに寄付するという。
曰く贖罪と言われていたが、もはや贖罪と言うよりもライフワークであり、人生を懸けた愛情だと言っても過言ではない。
本の中にもあるが、飼い犬の存在によってもう一つ己を高めなくてはいけないことを教えられたとして、動物への思いについても活動しようとされている。
これは、まさしく日本人の心で、真心で慮る気持ちを相手に込めるという、現代日本ではあまり見られなくなった光景と言えるのである。
損得が支配する社会の中で、そのようなものにとらわれず、己の利や欲望も捨て、純粋に己の人生と向き合うことは容易にできるものではない。
このような生き方のきっかけをつくってくれた人物が居られるということだ。
その人物は、日本でも名だたる任侠人で、その人の名前は、阿形充規と言う方である。
中林氏いわく、阿形先生に出会っていなければ、現在の自分は存在していない。
場合によっては、生きていたのかそうでないのか、もしくは生きていたとしてもクズのままだったのではないかと語っていた。
愚生も、阿形充規先生は存じ上げているが、中林氏が言われる通り真の任侠人であり、現在は大日本朱光会という団体の創設者であり、今なお民族活動に専念されており、活動もさることながら、生き方そのものがあまりにも美しく清らかで、その巷の人々が想像する任侠人とはおそらくまったく違う存在であることは、会った人であれば必ずわかるはずである。
人生というものは人との出会いであり、そこから得たものを如何に社会に奉仕するかが本当の日本人の姿であり、口先だけで立派なもの言いをし、何ひとつ実現せず、何が本質かもわからぬ人物がこの世の中を我こそがというような態度で闊歩する姿には辟易とするばかりでなく、呆れてものが言えないというような状況であることは、悲しい事実であると言える。
これからは、本物の人生を生きている人や真の日本人と呼べる人を探し、この年になってもなお学びをいただき、残りの人生にすべてをぶつけていきたいという所存である。
川井正彦